清原帰国 そして・・・

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年末にたくさん書きましたが,清原の話題は相変わらず豊富なのでいったんまとめてみます。
まずは,ハワイ出発前,



オリックス・清原が4日に自主トレ地のハワイ・オアフ島に向けて出発する。
 昨年2月に左ひざの遊離軟骨除去手術,7月には左大たい骨関節軟骨移植手術を受けた。
 自身初の一軍試合出場なしに終わったが,今では30メートル程度のジョギングができるまでに回復。
 巨人時代からの主治医,平石貴久医師(57)も「必ずもう一度,グラウンドに立てる。
 状態はすごく良い」と復活へ太鼓判を押す。
 プロ23年目を迎える清原は「開幕ベンチ入りが目標。左足がダメなら,右足1本で本塁打を打つ。
 悔いのないシーズンにしたい」と進退をかける覚悟だ。』



この時期は,右足一本でも打つと並々ならぬ決意を表明してましたね。
次は,ハワイに着いてからの様子



『「体が万全なら飛ばす自信ある」
 復活へ,一歩ずつ着実に前進する-。清原が目標に掲げたのは,決して大きくはないが,確かな一歩だった。
 「走る量は増えるでしょうし,自分としては立ってティーバッティングが打てるくらいになれたら。
 それで,ある程度走れるようになれたら…と思っています」
 柔らかい砂浜に青い芝生。ひざに優しい環境が整った常夏の島で,古傷との戦いを有利に進める算段だ。
 現在は座って行っているティー打撃をハワイで過ごす3週間で,立って行うところまで持って行く構え。
 昨年12月10日に約30メートルを3本だったジョギングの量も現在では
 「50~60メートルを5本くらい」まで増えており,当地ではさらに増量を予定している。
 昨年7月に手術した左ひざのリハビリは,すこぶる順調だ。
 「どれだけ1月,2月の間に打ったり走ったりできるのかが大事。
 神戸でリハビリをしてきて後退はしていない。」
 体重は目標の20キロ減まであと8キロまで絞った。その分ひざへの負担も軽減されている。
 昨季はプロ22年目にして初めてグラウンドに立つことなく終えた。
 今季は3・20の開幕戦に間に合わせることが理想。だが焦りはない。
 「フリー(打撃)開始のメドはひざとの相談。体さえ万全なら誰よりもボールを飛ばす自信はあります。」
 大筋で契約が合意し,今季から加入予定の前西武・カブレラは,同じ一塁を守る。
 しかし相手は関係ない。「巨人時代はもっと激しい競争だった」と軽く一蹴して見せた。
 ハワイでは3勤1休でメニューをこなす予定。
 今月末に常夏の島から帰って来た番長は一層,精かんな顔つきになっているに違いない。』



同じポジションのカブレラの入団が決まったものの自信に満ち溢れた発言ですね。
自分の気持ちを高めることで実戦で発奮してくれることでしょう。



そんな清原の一番の後援者である宮内オーナーは,



『◆ 復活に期待を寄せる ◆
 トップからの熱烈なメッセージだった。
 大阪市内のホテルで開かれたグループ年賀式に出席した宮内オーナーは,
 ハワイ自主トレに出発した清原について「オーナーという立場ではなく一ファンとして」と断った上で,
 「彼が頑張ると,プロ野球の歴史の一つになる」と,復活に期待を寄せた。
 宮内オーナーの野球,そして球団に懸ける思いは今も熱い。
 オーナー職20年目となる今季は「大阪ドームをわがチームで一杯にしたい」と話し,
 2年目を迎えるコリンズ監督に関しても「昨年は野球とベースボールの差があった。
 気力が充実している監督なので頑張ってもらいたい」と期待を寄せた。
 もちろん昨年,塗炭の苦しみを味わった清原への思いもひとしおだ。
 「今年もこの年になってチャレンジしている。一人の人間として立派だと思う」と熱いエール。
 中村球団本部長が「(左ヒザ手術を)執刀した先生から,年末に明るい話は聞きました」
 と説明するように好材料もある。南の島で復活を期す背番号5を“総帥”は温かい目で見つめ続ける。』



清原びいきの発言が多い事で他の選手の軋轢にならないようにとの配慮か
一ファンとしてという発言でした。
確かにオリックスファンとしてというのもありますが,野球人清原の復活はぜひこの目で見届けたいです。
その生清原をいつのタイミングで見られるかというのが話題になりました



『ハワイでリハビリ中のオリックス・清原が8日,2月1日からの宮古島1次キャンプを
 “免除”される可能性が出てきた。
 「本人に任せる。(手術した左ひざの)状態による」と中村球団本部長。
 現在は50メートルのジョギングができるまで回復したが,
 患部の状態次第では2月19日の高知2次キャンプからチームに合流する。
浜中に続きカブレラのの新加入も決まり,2008年度の陣容が整ったオリックス
 重量打線を前面に押し出し,失地回復を狙うが,ファンが最も注目するのは昨年1年間,
 リハビリに明け暮れた清原の回復状況だ。
 指標になるのはキャンプ地の選択。沖縄・宮古島か神戸での居残りかで,今後のスケジュールが見えてくる。
 現在,清原は温暖なハワイで自主トレ中だが,詳しい状況は球団も把握していない。
 「ポストシーズン中だし,連絡はとれていない。今月後半に帰国するので,
 彼の体調にあわせて今後のスケジュールを決めることになるでしょう」と中村球団本部長。
 左ヒザ痛の回復状態に適したリハビリを容認する構えだが
 今後,トレーニングを行う場所は2カ所に絞られている。
 「再びハワイ,というウワサも流れているが,
 2月からは球団に拘束権があるので,その選択肢はないでしょう。
 キャンプ地の宮古島か,神戸市内の室内練習場になる。
 室内には清原選手が寄贈したプール(リハビリ用で約2000万円)もあるし,
 設備は整っている」と球団関係者。
 宮古島か神戸居残りかの二者択一になるが,フロントの要望は宮古島でのトレーニングだ。
 「ここ数年,チケット販売が苦しい。
 唯一,明るい兆しが見えたのが一昨年,清原さんの入団が決まったとき。
 今キャンプは入団が決まったカブレラが(2月)中旬以降にしか合流しないし,
 それにあわせたようにローズ,ラロッカも遅れる。
 キャンプでの話題が乏しいワケで,
 その埋め合わせの意味でも清原さんの宮古島入りを願いたい」(球団関係者)
 プロ野球を興行という視点でみれば,清原の宮古島キャンプ参加は多大な貢献となる。
 しかし,現場サイドとしては,キャンプへの参加を無理強いできない。
 「リハビリでキャンプに参加するのはどうか。
 技術面のトレーニングが出来ないのなら,居残った方がいいかも。
 そのあたりは本人の自己申告に任せるほかないが…」(中村本部長)
 オリックスで唯一の全国区・清原がどのような復帰の路を選ぶか,注目される。』



この時は,清原のコメントもなく周りの憶測でのコメントが多かったですね。
そんな中でオーナーと同じくよき理解者の訃報が



『天国から見守ってください-。
 左ひざ手術からの復活を目指してリハビリ中のオリックス清原和博内野手(40)が
 20日,前日19日に胎児性肉腫のため死去した雑賀忠夫球団社長(享年62)の悲報に触れ,
 自主トレ先のハワイから球団広報を通じて故人を悼んだ。
 「雑賀社長にはバッターボックスに立つ姿を一度も見ていただけませんでしたが,
 どうか天国で私がグラウンドに立てるよう見守っていてください。」
 わずか1年で無情の別れとなった清原と雑賀社長。
 だが,その短い期間にもかかわらず,率先して清原支援の旗を振り続けたのは,ほかならぬ故人だった。
 歯を食いしばる番長を男意気で支えた。
 昨年7月4日,再手術を決断した清原が口にした「年俸を返上してでも」の決意表明。
 それに対して「男・清原や」と称賛した。
 神戸でのリハビリ中には社長自身,退院直後の身ながら自ら合宿所まで足を運び,番長を激励した。
 「“リハビリにプールが必要なんです”と私が言いましたら“全面的に協力するから”と,
 心強い言葉をいただき,感謝の気持ちでいっぱいでした。」
 その言葉通り合宿所の敷地を割いてプールを設置。
 「最終的には買い取るつもり」と並々ならぬ厚情も示した。
 そんな故人の恩に報いるには-。答えは清原自身が一番分かっている。
 「今,私は復帰に向けハワイで必死にリハビリに励んでいます。」
 やるべきことは一つ。グラウンドに,打席に立つことのみ。そして,天まで届く“恩返し弾”を打ってみせる。』



みんなの思いを誰よりも清原自身が感じてるはずです。
だからこそ本人は,宮古島からの合流も視野に入れているのでしょう。
そして,昨日いよいよハワイから帰国し



『◆ 米ハワイから帰国 ◆
 左ひざ手術からの復活を目指して米ハワイで自主トレを行っていた
 オリックス清原和博内野手(40)が25日,成田空港着の日航機で帰国した。
 きょう26日のコーチ会議で決まると見られていた2月1日以降のキャンプ地については,
 本人とコリンズ監督が近く直接会談を行い,決定する。
 指揮官は「スタート場所は(自分と清原)2人で決めること。コーチ会議で決めることではない」と説明。
 その上で「万全の状態で(チームに)帰ってくることを期待している」と力を込めた。
 キャンプ候補地としては1軍の宮古島,2軍の高知,神戸の3カ所が挙がっており,
 28日の帰国会見で本人の口から明かされる見通しだ。』



28日の会見では,また新しい話が清原の口から聞けるでしょう。
相変わらず記事としてはダントツの清原
復活神話の1年は幕を明けました。
球場に清原の応援歌が鳴り響く日が早く来ますように・・・



【写真は,秋のキヨコリ対談。この話し合いで清原の合流先が決まる】