出会いと別れ

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まず未確定な補強情報から

巨人を退団した高橋信二内野手(33)がオリックス移籍の意思を固めたことが28日,分かった。 
広角に打てる高い技術と長打を兼ね備えた強打者は,数球団から獲得の打診を受けた。
そんな中で「自由契約になって一番早く手を挙げてくれたのがオリックス。
熱意も凄く伝わってきた。岡田さんの下で野球をやりたいという気持ちが強い」
と親しい関係者に話している。
12月2日に公示される保留者名簿から外れるのを待って,入団は正式発表される。
高橋信は今年5月に金銭トレードで日本ハムから移籍。
しかし27試合の出場にとどまり,打率・182,0本塁打と
レギュラーに定着した03年以降で最低の成績に終わった。
オフの交渉では巨人側から強く慰留されたが「お金の問題ではない。
巨人に恩返ししたい気持ちもあるが,残りの野球人生を考えたとき,
出場機会を求めて新しい環境でもう一度挑戦したい気持ちが強い」と,
他球団への移籍を志願。
球団も高橋信の意思を尊重し,21日に自由契約となる申し出を了承された。
09年に日本ハムの4番で打率・309,75打点をマークし,リーグ優勝に貢献。
その実力は高く評価されており,今回の移籍志願を経ての巨人退団も強い覚悟の表れといえた。
「獲っていただく球団があるだけでもありがたい。
チームのために,どのポジションでも何でもやるつもりです」と高橋信。
不退転の決意で,プロ16年目の来季にもう一度大きな花を咲かせる。

高橋 信二(たかはし・しんじ)
1978年(昭53)8月7日,岡山県生まれの33歳。
津山工3年夏は県大会3回戦で敗退するなど甲子園出場はなし。
96年ドラフト7位で日本ハム入団。
03年にレギュラーに定着して捕手ではリーグ2位の12本塁打を記録。
翌04年は自己最多の26本塁打を放った。
今年5月に金銭トレードで巨人に移籍し,27試合で打率.182,0本塁打,3打点。
1メートル82,82キロ。右投げ,右打ち。

高橋加入でポジションはファーストかDH
もしくはゲーム後半なら捕手もあるかも

代打の切り札という手もありますが
捕手もできるという点では北川とかぶりますね。
(まぁ北川の場合,捕手はできるだけで肩が弱すぎて使えませんが)

怪我の具合もあるので北川の保険で高橋もありだと思いますが
使い方が難しい選手を獲得するんだなというイメージ

坪井のように飼い殺しにしないようにしてほしいですね。

さて昨日は阪急・オリックスにとって大きな別れがありました。
阪急の初優勝,後の黄金時代,常勝軍団の礎を築いた名将の訃報

阪急は西本監督以後,優勝も日本一も何度も達成し,
今のオリックスの状態なんて考えられないくらいの強いチームを作ってくれました。

そんな黄金期のレジェンド勇者が集った通夜
快速を飛ばして世界の盗塁王

阪急で黄金時代を築いた「世界の盗塁王福本豊氏も,恩師に静かに別れを告げた。 
福本氏の父親は海軍に所属していたことがあり,
陸軍に応召された経験がある西本氏からは
「父ちゃんは元気か」と機会あるごとに声を掛けられていた。
「上(天国)に親父がいるから話でもしてください」と心の中で語りかけた同氏は
「20年間現役をやれたのは監督のおかげです」とあらためて感謝していた。

絶対的エースがサブマリンに乗って

阪急の黄金時代を支えたサブマリンエースの山田久志氏は,
遺影に向かって手を合わせると
「監督のおかげで素晴らしい人生を送らせていただけました」と語りかけ,
野球人生の道しるべとなってくれたことを感謝した。 
通算284勝の現役時代,中日監督時代も教えを請うた恩師との思い出を
「人生の師匠という感じでした」としみじみと振り返った。

二人の言葉からも伝わる人柄
もちろん生粋の阪急ファンからも慕われており

通夜には一般のファンも参列。
静岡県から駆けつけた浜松南・鈴木英行教諭(56)は,
神奈川・足柄野球部監督当時の1980年春,生徒が手紙を送り,
西本氏から届いた返信を大事に抱きながら
「この手紙は宝物です。球場で会った時,スタンドから話しかけると応じていただいた」と話した。 
阪急初優勝の67年,西京極球場でグラウンドになだれ込んで
胴上げにも加わったという男性は,当日の入場券を受付で手渡して
「これを西本監督に…」と涙を流していた。

久しぶりに優勝と日本一を成し遂げて天国の西本さんにいい報告がしたいですね。




【写真は,この男も名将として人生の師として慕われる存在になれるか。来季が分岐点?!】