今日もコリンズチックに

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ブログ開設118日目の昨日5000HIT達成しました。
皆様いつもありがとうございます。



まずは,昨日の続きでコリンズ監督ネタを

『14日に再来日したオリックスのコリンズ監督が16日,
 神戸市の室内練習場を訪れ,新人6選手の合同自主トレを視察した。
 選手らは慣れない英語に戸惑いも見せたが,同監督は全員と握手を交わし,
 「体の大きい選手が多いね」と印象を話した。
 2月1日から沖縄・宮古島で行われる春季キャンプについて,
 同監督は大学・社会人ドラフト1巡目の小林賢司投手(青学大)と
 同3巡目の小瀬浩之外野手(近大)を一軍キャンプに参加させることを明言。
 小林は「全体的な投球を見てほしい」と話し,小瀬は「足をアピールしたい」と意欲を語った。』


別の記事でも


『大学・社会人1巡目の小林(青学大)と同3巡目の小瀬(近大)の1軍宮古島キャンプ帯同が決まった。
 コリンズ監督が「小林と小瀬は宮古島に連れて行く?そうですね」と明言した。
 今キャンプでは第3クールの2月15日前後に紅白戦を2試合予定。
 小林が「紅白戦?投げたいですね。1イニングでも多く投げたい」と意気込みを見せれば,
 小瀬は「自分の売りは足とバッティング。紅白戦でヒットを打って盗塁ができたら最高ですね」と
 アピールを誓った。』



外国人バッターのキャンプ参加が遅れるので,よりたくさんの若手を帯同させられますね。
特にこのふたりには大きなチャンスになりそうです。
昨年の小松,大引に引き続き1年目からの活躍を期待してます。



コリンズと田口のコラボを記事を



『◆ “田口先生”日本流ガマンのススメ ◆
 2年目のテーマは“和洋折衷”だ。オリックステリー・コリンズ監督(58)が16日,
 合宿所・青濤館とスカイマークスタジアムを訪れ,新人らの自主トレを視察した。
 メジャー流を掲げて臨んだ日本1年目は悔しい最下位に終わった指揮官。
 心機一転の今季は“日米いいとこ取り”で上位進出を狙う構えを見せた。
 まずは日本流を学ぶ。この日,青濤館で自主トレを行っていたフィリーズ・田口と遭遇。
 「ソウ!」と招き寄せて約10分間話し込んだ。話題は日米球界の違いについて。
 「彼は両方(日米)のリーグを知っているから。彼が繰り返していたのは“忍耐”という言葉だったよ。」
 昨季はシーズン途中に日米の違いに戸惑った。だが2年目の今季はひと味違う。
 違いを理解した上で勝つための最善の手段を選択していく算段だ。
 もちろんメジャー流も健在だ。今年の宮古島1次キャンプの日程は5勤1休の3クール制を予定している。
 昨年の4勤1休4クール制から変革。
 理由については「自分が慣れている(米国の)キャンプはオフがない。
 ただ,日本は休みが必要だということだから2日くらい入れておいたよ」と指揮官。
 濃密日程による濃厚キャンプを目指す。
 今オフはカブレラ,パウエル,浜中らの獲得で大補強に成功したオリックス
 2年目コリンズ政権は,主軸も方針も“和洋折衷”で9年ぶりのAクラス入りをもくろむ。』



田口は,若手以外にも影響を与えてくれる素晴らしいひとですね。
絶対にオリックスで指導者の道を歩んでもらいたいです。

それにしてもコリンズ政権の2年目は,明るい話題が多くないですか?
大きな故障者も今のところいないし,春季キャンプ次第では,
期待が確信に変わるかもしれませんね。




最後に今日1月17日と言えばオリックスファンとしてこの話題を



村松や大引,自主トレ中のナインを始め球団職員はきょう17日正午,
 13年前の阪神大震災で犠牲となった6400余人を悼み,
 大阪市内球団事務所や神戸のスカイマークスタジアム
 合宿所兼室内練習場「青濤館」の3カ所で1分間の黙とうを行う。
 また,室内練習場で汗を流しているフィリーズ・田口も「あす17日も練習するので…」と語り,
 古巣の若手とともに冥福を祈ることにしている。
 なお「がんばろう神戸!」の合言葉で田口らと一緒に被災者を元気づけたマリナーズイチローは,
 例年通り自宅で黙とうを捧げる予定だ。』



13年ですか・・・ファンフェスで訪れた神戸の町の活気と美しさからは,
あのような震災があったことさえ忘れそうな復興ぶりでしたが,
これも被災者の方々の努力の賜物だとつくづく思いました。
そして,犠牲者の皆様のご冥福をお祈りします・・・。



【写真は,大引に続け!!期待の新人『小瀬』】




(14:00追加)

新聞記事を追加します。

阪神大震災から13年を迎えた17日,オリックスの選手やスタッフら約40人が
 神戸市西区の室内練習場で正午から1分間黙とうし,犠牲者らを悼んだ。
 帰国中の大リーグ・フィリーズ田口壮選手も参加した。
 オリックスは震災の起きた95年,「がんばろうKOBE」を合言葉に,
 故仰木彬監督の下でリーグ優勝を達成し,被災地に希望を与えた。
 田口選手は当時の主力メンバーだった。
 選手や職員らは毎年追悼を続けており,この日は室内練習場のほか,
 公式戦で使用するスカイマークスタジアム大阪市北区の球団事務所でも黙とうをささげた。』