★7/21(月)ソフトバンク12回戦

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Bs 6-8 H
(ヤフードーム:35,549人)

勝:杉内9勝5敗
敗:小松6勝3敗
S:高橋秀1敗1S

HR:松中20号,中西3号,松田11号


2008年通算:91戦中42勝48敗1分 勝率 .467
パ・リーグ順位:6位
ソフトバンク:6勝6敗0分
大石采配通算:42戦中21勝20敗1分 勝率 .512
(コリンズ采配通算:49戦中21勝28敗0分 勝率 .429)
交流戦通算:24戦中11勝13敗0分 勝率 .458
交流戦順位:8位



さすがの鷹キラー小松も目が痛くなるような黄色いユニホームにお手上げでした。



『小松(ソフトバンク戦初黒星)
 「相性がいいからといって,全部勝てるとは思っていないが,悔しい。粘れなかった」』



またも4連勝はお預けとなりましたが,
黄色いソフバンのユニホームに目も慣れたころに「もしや?!」という展開に



『7点を追う9回に意地を見せた。
 8回まで杉内の前に8安打を放ちながら1点に抑えられていた打線は,
 9回に1点を取ってなおも1死満塁として相手2番手・二コースキーを降板させると,
 代わった久米からも一輝の死球と坂口の適時打で3得点など,
 1イニングで4投手を投入させ計5点を奪った。
 あと一歩及ばなかったものの,大石監督代行は
 「勝てなかったが,相手投手を使わせたし,明日,あさってにつながる」と話した。』



あのまま終わると思った展開で2点差まで縮めるとは

相手との差は,一発が出るかでないかもありますが,
川崎などの足をからめた野球を相手にされているところです。

川崎のエラーを誘うような内野安打や見事なまでの盗塁
そして,好走塁
5回に3点も取られたのは,川崎の走塁にやられたという気がしました。


ムネリンが師匠と仰ぐイチローも満足でしょう。


それから相川の2三振1併殺・・・
迎といい由田といい上に上がってくると途端に力が発揮できない・・・

一輝や小瀬くんみたにソフバンの大観衆に負けないプレーをお願いしますよ!!
若武者相川は1軍慣れしてるはずだから次が正念場です。



昨日のうれしい記事は,



『◆ 支えてくれた妻に感謝 ◆
 野球人生の新たな一歩を踏み出した。2006年に難病の黄色じん帯骨化症を患い,
 一時は選手生命の危機に立たされた宮本が6回から2番手で登板。
 近鉄時代の04年9月27日・オリックス戦以来1393日ぶりとなる1軍マウンドに上った。
 プロ初登板の01年10月5日のオリックス戦で先頭・アリアスに本塁打を浴びた宮本。
 くしくも再出発のマウンドでも先頭の松田に被弾した。
 だが,その後は3者連続三振を奪うなど2回を1安打1失点に抑えた。
 「どういう手を使ってでも結果を残そうと思った。
 きょう投げられたからと言って,喜んでいられない。必死に食らいついていくしかない」
 この日を迎えるまでにあまたの苦難を乗り越えた。06年2月13日に黄色じん帯骨化症を発症。
 さらに同12月の契約更改交渉では育成枠降格を言い渡された。
 育成選手として迎えた07年。だが,支配下登録期限の6月30日になっても朗報は届かなかった。
 「投げられていたのに」。自暴自棄になりかけた。
 車を運転している時に飲食店の看板を見て「野球を辞めて,働こうか」と野球を離れることまで考えた。
 そんな宮本を支えたのが愛妻・海原やすよだった。一番苦しい時に常に側にいてくれた。
 笑顔を取り戻させてくれた。その気遣いに「自分は1人じゃない」ことを思い出した。
 「本当に心の支えでした。後は僕がやるだけ」。この日のマウンドはゴールではなくスタートライン。
 今度は,宮本が妻に笑顔を贈る番だ。

 ★宮本 大輔(みやもと・だいすけ)1981年(昭56)10月2日,宮崎県生まれ。
 99年,延岡学園からドラフト1位で近鉄(当時)に入団。02年にプロ初先発初勝利。
 今季2軍では13試合に登板し,2勝0敗1セーブ。1メートル83,83キロ。右投右打。

 ▼海原やすよ(32=姉妹漫才コンビ海原やすよともこ」の妹で,宮本投手と2005年12月に結婚)
 本人の努力と本人の信じたトレーニングが実って1軍にあがれてよかったです。
 2年半,本当にしんどい思いをしたと思うけど,
 きょうのマウンドではそれをかみしめていたと思います。(テレビで観戦)』



九州男児の宮本が準地元の福岡で久々の熱投
松田に一発を浴びたもののまずまずの出だしでした。

貴重な中継ぎとして期待したいと思います。


ん~今日は勝ちたい久々の先発近藤!
頼むで近ちゃんP退治!!




【写真は,復活夫婦愛宮本大輔