08年球団納会

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24日のファンフェスに引き続き
球団の公式行事の最後として納会が開催されました。


そこで,かねてから出席が予定されていた清原が姿を現し,
選手として球団へ最後の言葉を残しました。



『◆「3年間本当に楽しかった」◆
 大阪市内のホテルで球団納会が開かれた。
 今季限りで現役引退した清原氏も出席。
 壇上に上がり,チーム関係者に対して最後の別れを告げた。
 清原氏は「私自身ケガをしてすごく苦しみましたけど,オリックスに来た3年間,
 初めて関西で(プロの)ユニホームを着させていただきました。
 皆さんと出会うことができて,本当に楽しかったです」とあいさつ。
 最後は「ありがとうございました」と締めくくった。
 納会では梶原健司オーナー代行が清原氏をねぎらい,
 「時間があればグラウンドに顔を出していただき,お力添えいただきたい」と伝えた。』



本当に清原という球界を代表するバッターがオリックスで晩年を過ごしたんですね。

改めてなんだか不思議な気持ちになりました。

仰木監督の気持ちに応えてくれて
オリックスのユニホームを着てくれてありがとう!!



実は,納会より少し前,清原が選手としてこんな最後の仕事をしていました。



『◆神戸大学付属病院を訪問◆
 “最後の”ユニホーム姿を披露した。
 今季限りで現役引退した前オリックス清原和博氏(41)が
 25日,神戸市中央区神戸大学付属病院を訪問。
 小児科病棟に入院している子どもたち約30人を激励した。
 昨年7月に同病院で左ひざ骨軟骨移植手術を受けたことが縁で,
 執刀医だった黒坂昌弘整形外科教授(57)との約束を果たした。
 清原氏は子どもたち全員にサインしたり,一緒に写真に収まるなど約30分間,有意義な時間を過ごした。

 ◆左ヒザ手術を執刀した医師との縁で◆
 背番号「5」のユニホームを身にまとった清原氏が小児科病棟の一室に足を踏み入れた瞬間,
 約30人の子どもたちから歓声が起こった。
 清原氏は満面の笑みで部屋の中央に進んだ。
 言葉をかけながらサインボールを贈り,色紙に次々とサイン。
 子どもたちと,貴重なひとときを共有した。
 「本当に自分のひざがいかに(症状が)軽かったかを実感した。
 あんなに小さい子どもたちが病気と闘っている姿を見て心に期すものがあった」
 闘病中の子どもたちを励ますための病院訪問。
 だが,逆に子どもたちの姿に,笑顔に勇気づけられた。
 「こんなに厳しい闘いをしている子どもたちの姿を見たら
 “僕たちも,もっと頑張っていかないといけない”と思った」。
 改めて子どもたちの憧れの存在であることへの使命を痛感した。
 昨年7月に左ひざ骨軟骨移植手術を受けた際の執刀医・黒坂教授との約束を果たした。
 10月1日の引退試合
 観戦に訪れた同教授に「病院に行かせてください。子どもたちの力になりたい」と切り出した。
 そしてその後も連絡を取り合い,ようやくこの日,実現した。
 悲しい現実もあった。白血病で同病院に1年間入院していた11歳の少年がいた。
 清原氏のファンで今回の訪問を心待ちにしていた。
 だが2日前に帰らぬ人となった。
 この日はくしくも少年の告別式。
 仏前には後日,病院関係者が清原氏からもらったサインボールと色紙が供えられる。
 「これで本当に自分のオリックスでの役目は終わったんじゃないか。選手としての役目がね」。
 この日着用した10月1日に着た“最後の”ユニホームは病院に寄贈した。
 これで本当の意味でユニホームを脱いだ清原氏
 「選手・清原和博」としての仕事を終えた。』



本当に華のある漢です。

後日機会があれば記事にしますが新入団の高島が入団会見で
清原が目標でできればいつか背番号5をつけたいと言っていました。

記録だけじゃなくファンの記憶に残る存在になってもらいたい

そんな選手がオリックスからひとりでも多く出てもらいたいと思いました。



清原選手!本当にお疲れ様でした!!!


これからもよろしくお願いします!!



《短信》

オリックスは25日,来季からの新しい選手会長日高剛捕手が就任すると発表した。
 今季まで2年間,北川博敏内野手が務めた。』

『セ,パ両リーグは25日,「2008ゴールデン・ルーキー賞」に巨人の山口鉄也投手と
 オリックス小松聖投手が選ばれたと発表した。表彰式は12月8日に行われる。』



日高会長正式就任と小松に新たな勲章の話題でした。




【写真は,病院に慰問中の清原。選手の社会活動はよく話題になりますが
清原の選手としての活動はこれがラストです。】