清原という豪傑

イメージ 1

今季のオリックスの大きな出来事のひとつとして
清原和博の復活そして引退というドラマがあります。


そこで,今日はオリックスを最後の花道に選んだ清原に敬意を表し
今一度,豪傑清原を再考察してみたいと思います。

まずは,清原の生涯を数値化した記事を



『「無冠の帝王」はプロ野球史を飾るような傑出した選手か?
 打率,本塁打,打点の主要3タイトルとは無縁のまま23年間の現役生活を終えた清原和博内野手(41)。
 清原を米国で定着しつつある得点力の指標「RC27」で評価したところ,
 86年の西武入団から5年間は文句無しの“怪物”だったことを裏付ける数値になった。
 RC27は,民間の野球ライター出身ながら,大リーグ・レッドソックスのスタッフにまでなった
 ビル・ジェームズ氏らが考案した「セイバーメトリクス」と呼ばれる評価手法の一つだ。
 安打数など「出塁能力」と盗塁,犠打などの「進塁能力」に一定の係数をかけ合わすなどして
 「産出得点」(RC=Runs Created)をはじき出し,27アウトを取られる間の得点に換算する。
 清原の場合,高卒1年目の史上最多本塁打31を記録した86年のRC27が8・02,
 その後も高い数字を維持し,90年には10・27と2けたをマーク。
 9人の清原で打線を組めば,1試合で10点取れるという驚異的な値になった。
 ちなみに,90年まで5年間のパ・リーグ主要3タイトル獲得者でRC27が10を超えたのは,
 86年の三冠王落合博満(当時ロッテ)の12・84のみ。
 89,90年は清原が3タイトル獲得者の誰よりも高い値をマークした。
 RC27は「長打が多い」「安打数が多い」「足が速い」「選球眼が良い」など,
 特徴の違うさまざまな打者を「得点力」という同じ土俵で評価する指標と位置付けられる。
 長打力と確実性を兼ね備え,四死球も多かった5年目までの清原は「傑出した総合力を持つ打者」だった。
 清原のRC27は91年に初めて7を切り,その後は浮沈を繰り返した。
 西武時代の11年間では7・57だが,23年間(実質22シーズン)の通算は7・12まで落ち込む。
 四死球のシーズン合計が100を超えたのも94年が最後。
 巨人,オリックス時代の苦悩ぶりを物語っている。』



RC27という手法は聞きなれない評価法ですが
要するに1試合同じ選手で打線を組めば何点取れるかというIFの話で
相手投手の条件も時代も違うのですがそれを言い出すと打率もHRも同じ話なので
ある程度客観的な評価法なのかもしれません。

さらに盗塁や犠打も根拠にされてる分おもしろい数値です。


さて,タイトルに無縁だった清原ですがこの記事が示す値はいかにすごい打者だったかという内容です。
清原ひとりで毎試合7点取れるというのは驚きですね。

特にルーキー時代の数値なんかは格段に違いますね。
これで19歳だったのはすごいことです。


このような数値があるからこそ記録より記憶に残る選手だった訳で
パ・リーグ連盟もこのような賞を清原に送りました。



パ・リーグは21日,今季限りで現役引退した元オリックス清原和博氏(41)に
 会長特別表彰として功労賞を贈ると発表した。
 11月21日のプロ野球コンベンションで表彰する。
 清原氏は1986年から96年まで西武,2004年からオリックスパ・リーグに通算14年間在籍。
 小池会長は授賞理由について「西武の黄金時代を支え,最後もオリックスで花道を飾った」と話した。』



なんだかそう思うと改めてすごい選手だったんだと思います。

清原も引退後に後人の育成のためにこんなことを



『子どもたちのスポーツ環境づくりに役立てて-。
 今季限りで現役を引退した清原和博氏(41)が10日,生まれ故郷の大阪府岸和田市
 「ふるさと納税」制度で150万円を寄付した。
 同日午前,清原氏の父・洋文さん(71)が市役所を訪れ,野口聖市長に手渡した。
 寄付金はスポーツ振興事業に使うという。
 洋文さんは「岸和田は小さいころから野球に親しんだふるさと。
 これまでずっと応援してくれた皆さんに深く感謝しています」との清原氏のコメントを代読した。』



自治体としてはありがたい話だと思いますね。
話の通りスポーツ振興事業の財源に充当されるといいですね。

最後に清原の進路を桑田と絡めた記事で



『今年限りで現役引退した清原和博氏(41),桑田真澄氏(40)は,
 CS放送のみだったアジアシリーズはもちろん,日本シリーズのテレビ解説にも姿を見せなかった。
 ONがグラウンドを去ったいま,次代の監督候補は沈黙を保っている。
 今年の日本シリーズは西武-巨人対決。
 かつて清原,桑田両氏が名勝負を繰り広げた舞台。
 とりわけ清原氏はLG両軍に在籍し,両方で日本一になった経験があるだけに,
 放送ブースに姿がなかったのは寂しかった。
 民放関係者は「清原氏には,日本シリーズ2~5戦を中継したテレビ朝日
 ゲスト解説のオファーを出したが,断ってきたそうです。
 というか,引退直後からゲスト出演にはNGの意向を示していた。
 清原氏は10月1日に引退試合を行い,同3日にTBSが
 ドキュメンタリータッチの『清原和博41歳引退スペシャル』を放送して話題となって以降,
 ほとんどテレビに姿を見せていない。
 ほんの一時でも,野球から離れてゆっくりしたいのでは。来年の身の振り方を含め,
 動向が注目されていますが,いったい本人たちがどう考えているのか…」と首をひねる。
 ひと昔前であれば,各局が「ぜひウチの専属解説者に」と壮絶なKK争奪戦を展開したはず。
 しかし,中継試合数が年々減り,テレビ各局のスポーツニュースのプロ野球枠も縮小傾向。
 解説者の活躍の場自体が少なくなっている。
 したがって,他局に出演できない「専属契約」はいまや,本人,テレビ局双方にとってメリットが小さい。
 KKともに来季は,どの局にも自由に顔を出せるフリーの立場を選ぶものとみられている。
 KKと親しい球界関係者は「2人ともガツガツ仕事を取らなければならない立場じゃない。
 清原はもちろん,桑田だって今やお金には困っていない。
 それに,最近はなまじテレビ中継の解説を務めるより,講演会を開く方がもうかりますから。
 清原や桑田なら講演会のギャラが1本100万円を下らない。
 1カ月に10本もこなせば1000万円以上ですよ。
 実際に桑田はこのオフ,頻繁に講演会を開いています」と指摘している。
 それより,KKが再びユニホームに袖を通すのはいつになるのか?
 清原氏には早くから,来季オリックス監督就任説が浮上したが,
 今季途中から指揮を執った大石監督が想像以上の健闘でチームを最下位から2位へ引き上げたことで,
 引退即監督就任が消えた。
 一方,抜群の人気を買って“巨人・桑田監督待望論”を抱く,ある読売グループ関係者は
 「本当は来季から巨人コーチとして入閣し,帝王学を修めるのが理想。
 ところが桑田が06年オフ,原監督へのあいさつなしにホームページで巨人退団を表明して以来,
 2人の関係は微妙。原監督政権下での桑田入閣は考えづらいのが現状です。
 その原監督が新たに来季から3年契約を結び,
 しかも次期監督候補のひとりの吉村2軍監督が来季から1軍野手総合コーチに昇格する。
 桑田の巨人復帰時期は遠のいたといえるでしょう」と分析する。
 ファンにとっては,どんな形でもいいから,1日も早く2人にユニホームを着てほしいのが本音だろう。』



せっかくオリックスのユニホームを着たご縁ですから
いつか指導者の勉強をしてもう一度このユニホームに袖を通してもらいたいですね。

清原はやはり不世出の豪傑であったと改めて思いました。


敵であった時も味方であった時もその存在感は特別でした。


23年間ありがとうそしてお疲れ様でした。




【写真は,指導者や指揮官としていつかこの姿が見れることを期待・・・】