△9/27(日)ロッテ最終戦

イメージ 1

Bs 7-7 M
(千葉:29,227人)

勝: -
S: -
敗: -

HR:


2009年通算:137戦中53勝82敗2分 勝率.393
パ・リーグ順位:6位
対ロッテ:14勝9敗1分

交流戦成績:24戦中8勝16敗0分 勝率.333
交流戦順位:11位



山本が自責点7の状態で敗戦濃厚の7回
1イニングに6点を奪うという意地を見せてはくれたのですが結果は引き分け

省吾を2ケタ勝利させたいという気持ちはわかりましたが
あの状態なら4回に4点取られる前の継投がほしかったです。



オリックスは引き分け以下なら最下位が決まる一戦で,
 今季最多の21安打と意地を見せたが,あと1点が遠かった。
 1-7の七回2死走者なしから,8連続長短打で一気に追い付いた。
 延長十二回には2死一,二塁として山崎浩が左前打を放ったが,
 二塁走者の小瀬が本塁でタッチアウト。
 最後のチャンスも,あと一歩で逃した。
 今季は優勝候補の一つに挙げられながら,7試合を残して2季ぶりの最下位が決定。
 大石監督は「残念ですけど,残り試合をしっかり頑張るしかない」と話した。

 清川投手チーフコーチ(3回2/3で7失点の山本に)
 「球が高すぎ。コントロールがよくないと,こういうことになる」

 横山(六回の守備から出場し,3安打1打点)
 「(3投手をリードして)0点に抑えられたことの方がうれしい」』



昨日のゴンゾーの途中出場猛打賞と荒くれボギーの操作術は見事でした。
来季2番手捕手の可能性ありですね。


ただあと1点が遠かったですね。



『7回2死から8打席連続安打で6得点。
 一気に7-7に追いつき,延長12回引き分けに持ち込んだものの,
 2年ぶりの最下位が決定した。
 大石監督は21安打を放ちながら勝ち越せなかったことに
 「粘ったというのかなあ…。まあ連打はよく続きましたけどね。
 最下位は残念ですが,残り試合を頑張るしかない」と語ったが…。
 コリンズ監督の辞任を受けて昨年途中から指揮を執り,リーグ2位に躍進させたが,
 今季はけが人続出で低迷する不運の中,7試合を残し監督続投の可能性は消えた。』



コリンズ超えの最下位監督の汚名の挽回のチャンスは・・・



『◆ 05年セ・リーグ優勝の手腕に期待 ◆
 オリックスが来季監督に阪神前監督の岡田彰布氏(51)を招へいすることが
 27日,明らかになった。
 今季で契約が切れる大石大二郎監督(50)の後任には,
 今年3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で
 投手コーチを務めた山田久志氏(61=オリックスOB会長)も候補に挙がっていたが,
 交渉が決裂していたことが判明。
 最終的に阪神でリーグ優勝の経験がある岡田氏に一本化した。
 岡田氏は球団が本拠地を置く大阪出身で,前阪神監督も務めたという経歴もあり,
 関西での知名度は抜群。
 さらに球団OBであり,新監督の就任条件に「監督経験者」を掲げる
 宮内オーナーのお眼鏡にもかなう岡田氏。
 早ければ10月2日にも発表される。
 その手腕に,オリックス再建が託されることとなりそうだ。

 岡田 彰布(おかだ・あきのぶ)
 1957年(昭32)11月25日,大阪市出身の51歳。
 北陽高から早大に進み,東京六大学リーグで大学3年秋に3冠王
 79年ドラフト1位で阪神入り。
 翌80年に新人王を獲得した。
 85年には打率・342,35本塁打,101打点で優勝に貢献。
 94年にオリックス移籍。
 95年に現役引退後はオリックス阪神でコーチ,2軍監督などを歴任。
 03年オフ,星野監督の退任に伴い阪神監督に就任し,2年目の05年にリーグ優勝。
 5年目の08年10月,巨人に13ゲーム差からという
 セ・リーグ史上最大の大逆転Vを許し引責辞任した。
 監督通算成績は718試合で393勝307敗18分け。』



あぁ結局岡田の説が有力に・・・
山田じゃないなら大ちゃんに故障者復活のオリでがんばってもらいたかった・・・


最後に昨日の記事の追加補足



マリナーズイチロー外野手(35)は,
 ブルージェイズ戦に「1番・右翼」で出場。
 4打数1安打で,自打球を右すねに当て途中交代した。
 試合後には,オリックス時代の監督で25日に67歳で亡くなった土井正三氏に触れ,
 打ち立てた記録など「知っていてくださったらうれしい」と話し故人をしのんだ。
 悲報を知人からの電話などで知ったイチロー
 試合後,土井氏への思いを静かに語り始めた。
 「(病状が)相当悪いということは聞いていましたし,覚悟はしていました。
 ご冥福をお祈りします」
 2人には浅からぬ因縁があった。
 プロ2年目,1993年の開幕戦で先発起用されたがその後,2軍落ち。
 土井氏が振り子打法に否定的だったからとうわさされた。
 翌94年,監督を引き継いだ仰木彬氏(故人)のもと,登録名をイチローに変えてから活躍。
 世間では「イチローの才能を見いだせなかった」という印象がつきまとった。
 しかしイチローは「そうじゃないのにねえ…」とポツリ。
 残念そうにこうした見方を否定した。
 メジャー史上初の9年連続200安打は,亡くなる11日前に達成。
 「(病身にもかかわらず自分のことを)気にしてくれている,と聞いていた。
 だから200本のこととかを知っていてくださったらうれしいですけどね」と悼んだ。
 この日はブ軍に0-5で完敗。
 八回に自打球を右すねに当て途中交代し,ヒヤリとさせたが
 「大丈夫。(当たった個所が)骨ですから,痛いけど腫れない」と,影響なしを強調した。
 4打数1安打で打率は.355。
 首位のジョー・マウアー捕手(26)=ツインズ=が.370のままでも,
 上回るには残り8試合で1試合平均2.88安打,23安打する必要がある。
 困難な状況だが,奇跡を天国に届けたい。』



監督と選手の関係構築のために少し長期政権を期待・・・




【写真は,うつむく大ちゃんとその隣にかつての盟友Sコーチの姿が!!!!】