ブルーウェーブ☆アゲイン
がんばろうKOBEデーの余韻が覚めやらないので
もう一日延長してこの記事を
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阪神大震災から15年が経過したことを受け,30日, スカイマークスタジアムのオリックス‐ヤクルト戦は「がんばろうKOBEデー」として行われた。 オリックスは「ブルーウェーブ」時代のユニホームで試合に臨み,快勝した。 試合前には当時の投手陣を支えた野田浩司さん,小林宏2軍コーチらが始球式を行うと, 試合中のアナウンスは当時と同じDJ・KIMURA氏が担当し,雰囲気を再現。 集まった3万4千人を超える観衆は大いに盛り上がった。 ◇ ◇ 今季最多の3万4545人を集めたスカイマーク。 復刻版ユニホームの右肩には「がんばろうKOBE」のワッペンがはられた。 少ないチャンスでの得点を守り抜き,9勝5敗で西武,ロッテとともに交流戦首位に立った。 強いオリックスの再来を感じさせる戦いに, 岡田監督は「こういうゲームやっとかんと,なかなか1年いかんと思うし, だいぶいい形になってると思うし」と手応えを口にした。 1995年1月17日。 未明の激震を,所用で滞在していた高知で知った。 「忘れろ言われたって忘れられん。大変な年やった」。 ままならぬ生活。 「野球しててええんかな」と感じながら, 自らは現役選手として復興を目指す街とともに,快進撃で突っ走った。 あれから15年,イチローはいない。 だが,背番号51を間近で見て育った日高が二回に豪快な先制弾を放ち, 八回にはきっちりダメ押しの2点を挙げた。 投げては先発山本が七回途中まで無失点で粘ると,1死一,二塁のピンチでは平野を投入。 代打・畠山,宮本を連続で空振り三振に斬る完ぺきな火消しぶり。 ここから岸田‐レスターとつなぎ逃げ切った。 これで5月は10勝10敗の5割。 「ゴールデンウイークは負けとったしな。連敗止めて交流戦に入ってからやな。 やっぱり後ろに1枚,岸田が加わったのが大きい」と話した。 日高は最後までマスクをかぶった。 シーズン当初はリード面での物足りなさから2軍落ちの荒治療まで施した。 「ワンランク上のリードできるようになればいい。 今はちょっと違うリードしてるよ」と成長を認めた。 「地震前の元気な神戸に戻らんとな」。 そのためにも勝つ‐。 力量を見極め配置転換し,既存の戦力の底上げを図る。 あのころに負けない強いオリックスをつくり上げるつもりだ。
あの年,あの日,あの時に神戸の人にもらった想いは忘れられない球史です。
勇者阪急と青波オリックスという直系本流の血脈は受け継がれていくと確信しました。
さてこの怒涛の青波の勢いを残りの交流戦にぶつけるために
交流戦優勝の前に,まずは勝率5割復帰だ。 オリックスは最多7まで膨れ上がった借金も,交流戦に入って持ち直し2に減少。 交流戦も首位に並んだが,岡田監督は 「星勘定して,おととし勝たれへんかったやん。まずは5割よ」 と阪神監督時代の08年に失速して優勝を逃したことを引き合いに戒めた。 それでもT-岡田の奮闘や,抑えが固定されるなど目指す野球が確立しつつあるのは事実。 「自信をつけると思う。そら,全然違うよ」とも話し, 優勝への意識をチラリとのぞかせていた。
まずは,ここまで唯一勝ち星を拾えなかった落合ドアラーズを倒して借金を0に!!
そして,一気に交流戦優勝の色気を目指すために覚醒したバルも
29日のヤクルト戦で左中指伸筋腱を脱臼し, 登録抹消となったバルディリスが最短10日で復帰見込みとなった。 この日,神戸市内の病院で再検査を行い,手術をしないことを決めた。 「今は炎症があるけれど,痛みに強い人ならすぐにでもできる」と井筒チーフトレーナー。 炎症が治まり,指の曲げ伸ばしに違和感がなければ再登録可能な9日の巨人戦から復帰する。
待望の守れるサードですからバルディリスにはぜひ復帰してもらいたいですね。
【写真は,往年の青波エースが乗り移ったと言ってくれた省吾。左腕エース復活!!】