68 深江 真登(外野手)

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選手応援シリーズ(28)です。
応援シリーズ28人目に選んだ選手は,ルーキーの深江選手です。


68 深江 真登(ふかえ まさと)
外野手(右投左打)
関西独立リーグ明石からドラフト5位で入団した野手で球暦等は次の通り

1987年9月5日生まれの23歳。
長野・松商学園高では3年夏に投手として甲子園出場。
龍谷大を経て,昨年は関西独立リーグの明石でプレー。
外野手転向1年目ながら打率.335,盗塁25をマーク。
176センチ,75キロ。

深江の魅力は50メートル5.65秒の足と遠投110メートルの強肩

AOKUさんも絶賛の期待の新人です。

深江の記事をまとめて放出

まずは入寮した時のふっくん

オリックスの新人5選手が10日,神戸市西区の選手寮「青濤館」に入寮。
ドラフト5位の深江真登外野手(23=関西独立リーグ・明石)は
岡田監督の座右の銘にちなんだ芋焼酎「球道一筋」を持参した。
この焼酎は2005年に指揮官が
阪神をリーグ優勝に導いたことを記念して06年に発売されたもの。
1軍昇格の際には縁起の良い“オカダ焼酎”で祝杯を挙げる考えを明かした。
「去年の11月に姫路の鶏料理屋さんの大将にいただきました。
1軍に上がったら飲みます。早く飲みたいです」。
寮の自室に焼酎を大事そうに飾った深江。
健康面を考えて自宅でレンタルしていたウオーターサーバーも持ち込んだ。
冷水と温水が出る優れ物があれば水割りやお湯割りもバッチリだ。
「足が速いので,そこでアピールしたい」。
きょう11日からは始まる新人合同自主トレには首脳陣も視察に訪れる。
開幕1軍を狙う俊足王が美酒に向かってスタートダッシュをかける。

今の状態ならいきなりオカダ焼酎を飲むことになりそうな感じ
代走といえば森山でしたが
盗塁の成功率は深江の方が高そうです。

そんな深江にある出来事が

新人合同自主トレ2日目を終えたドラフト5位の深江が亡き“恩師”に飛躍を誓った。
昨年まで所属した関西独立リーグ・明石の大村節二球団代表取締役が
胆のうがんのため11日に74歳で死去。
深江は昨年12月23日にお見舞いに行ったという。
「僕のことを気に入ってくれていた。スカウトの方にも売り込んでくれて,お世話になりました」。
関西独立リーグから初のドラフト指名選手は,1軍での活躍で恩返しするつもりだ。

深江指名の影に尽力した人物アリ

そんな関西独立リーグ時代の話を含めて詳しく

夢をかなえるまでの道のりは,確かに険しかった。
経営難で昨季途中から無給となった関西独立リーグから初のドラフト指名を受け,
オリックスに入団。
「もし指名がかからなかったら,今年はどうしようかな…と思ってましたね」
と苦しかった胸の内を語る。
投手だった龍谷大時代は右ひじの故障もあり,4年間で公式戦登板は一度もなかった。
プロはおろか社会人チームからも,誘いの声はかからない…。
それでも,プロ野球選手になりたいという思いは消えなかった。
50メートル5秒6。
大学でも幾度となく,俊足を生かしての野手転向を打診された。
「でも,変なプライドがあったんですよね。
結果を出さないまま,投手を辞めたら『負け』だと思ってしまったんです」
その心を解きほぐしてくれたのは
「一流選手はそんなこだわりを持たないぞ」という兄からの忠告だった。
明石の入団テストを受けるとき,初めて「野手」でエントリー。
それが転機となった。
打ってから一塁まで左打者で4秒を切れば,プロでも快足の部類だが,
深江はスピードに乗れば,3秒6で走り抜ける。
独立リーグのレベルでは,平凡な遊ゴロでも内野安打。
プロのスカウト陣がその一芸ぶりに着目したのは,必然の流れだった。
そんな“挑戦の場”を与えてくれた,明石球団の大村節二代表が病に倒れたのが昨年12月。
苦しい球団経営の中で「ホントによかった」
と深江の夢がかなったことを心から喜んでくれた病床の大村代表の前で,
深江はオリックスのユニホーム姿を披露。
それを見届けたかのように,年明けの1月11日,大村代表が74歳の生涯を閉じた。
「僕が結果を出すことで,独立リーグの選手たちが『自分も』と励みになる。
だから,まずは開幕1軍を目指して頑張りたい」。
それが恩人への供養にもなる-。
固い誓いを胸に新たなスタートを切った。

さあ!この記事を読んだオリックスファンのみなさんは
早くも深江のファンになったはず!!

青田買いして間違いない逸材の深江

駿太の潜在能力も魅力ですがふっくんも熱烈応援する価値のある存在ですよ!




【写真は,オカダ焼酎を掲げるCMのような深江。実は男前です!!】