覚悟の時
日本球界屈指の外野手糸井のコメントから
おぉ?!
ちょっと印象変わりましたよ。
でもその前にこの記事から
でもその前にこの記事から
電撃トレードから3日が過ぎても,未練を断ち切れなかった。 日本ハムからオリックスに移籍した糸井嘉男外野手(31)は26日,ほっと神戸で入団会見し「トレードは驚いた。最初は(日本ハムの選手やファンと)別れるのがつらいと思った。ゼロだった僕をここまでの選手にしてくださったので…」と声を詰まらせた。 この日,オリックスと契約更改交渉を行い,日本ハムでは保留していた1000万円増の年俸2億円でサイン。 契約年数は単年だった。 今回の放出劇の一要因とみられるのが,日本ハムに要望していた今季終了後のポスティング・システム(入札制度)によるメジャー挑戦。 糸井はこの日の入団会見でも「関心はあります」と本音は隠さず,単年契約ならば夢を実現する可能性は残される。 とはいえ,糸井は交渉した村山良雄球団本部長に移籍希望を伝えることはなく「今はオリックスで全力を尽くす気持ち」とした。 京都出身で近大時代まで関西で過ごしただけに「ただいまという感じ。ヤジは言ってもらっても大丈夫」と前向きに話した。 終始,緊張した表情の糸井だったが「実は…」と明かして,笑顔も見せた。 ほっと神戸の室内練習場で自主トレ中のイチロー(ヤンキース)から「練習見に来いよ」と誘われたという。「初めてイチローさんの練習を見て,めっちゃ興奮しました。気さくに話してくれて,うれしかった」。 電撃移籍に続き,憧れの選手との電撃対面。 「中学の時からのファン。僕が投手から外野手に転向した時,イチローさんみたいになりたいと思った」。 オリックスでは,そのイチローの「聖地」であった右翼を守る。 背番号は日本ハム時代と同じ7に決定。 51も空いているが「(欲しいと)言えるわけないですよ!」と絶叫。 少しばかり元気を取り戻したようだ。 オリックス・村山良雄球団本部長(糸井のメジャー挑戦希望に) まだ,きょう会ったばかりでそんな話はしていない。これから会う機会も多々あるんだし。うちの新しい主軸だから,できる限り長くプレーしてもらいたい。
どんな選手なんだろう?
同リーグでも投手から野手に転向して成功した例としか認識してない糸井
同リーグでも投手から野手に転向して成功した例としか認識してない糸井
その素顔はおいおい知っていきたいですね。
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日本ハムからオリックスに移籍した糸井嘉男外野手(31)が26日,ほっともっとフィールド神戸で記者会見。 糸井は米球界挑戦には慎重に言葉を選びつつ,日本ハムへの思いを聞かれると声を詰まらせた。 ――電撃的に移籍した。 「早くなじめるか。認められるようにキャンプから必死に頑張りたい」 ――京都出身。 「ただいまという感じ。ヤジは言ってもらっても大丈夫」 ――イチロー(ヤンキース)とオリックスの室内練習場で会った。 「中学生の時に『がんばろうKOBE』で日本一になった。ファンだった。外野手に転向したとき,イチローさんみたいになりたいと思った。気さくに話してもらったが,興奮し過ぎてよく覚えていない」 ――古巣への思いは。 「最初は別れるのがつらいと思った。ゼロだった僕をここまでの選手にしてくださったので感謝している」 ――メジャー志向だが。 「(オリックスに要望を)言いづらいとかではなく,本当に今は新しいチームメートと最後にてっぺんにいられるよう,早く野球がしたい」
日本ハムからトレードでオリックスに移籍した糸井嘉男外野手(31)が26日,ほっともっとフィールド神戸で入団会見を行った。 会見前に室内練習場で,球団OBで米大リーグ,ヤンキースのイチロー外野手(39)と初対面し,激励された。 背番号が日本ハム時代と同じ「7」に決まった糸井は,ポスティングシステム(入札制度)でのメジャー移籍をひとまず封印。 新天地で優勝に貢献した上で,堂々とメジャーに挑む「イチローの道」を歩む決意だ。 涙の門出に,思わぬプレゼントが待っていた。 衝撃のトレードから3日。 糸井の迷いを全て吹き飛ばしてくれる男が,室内練習場で待っていた。 イチロー。 新たに加わるチームのOBで,いずれ目指すメジャーの頂点に君臨する先輩から,直接激励を受けた。 「坪井さんが一緒にトレーニングしていて,連絡をくれた。初めてだったんですけど拝見させてもらって,めっちゃ興奮しました」 この日神戸に到着すると,電話が鳴った。 坪井智哉外野手(38)だった。 昨季は米独立リーグでプレーし今季は所属未定の,日本ハムの背番号「7」の先輩だ。 「来てるんやったら,練習してるから見るか?」。 約10分間,一心にイチローの打撃練習を見つめた。 「気さくに話しかけてくれて,うれしかったです。興奮しすぎて(会話の内容を)覚えていません。今でも雲の上の存在。野手になったとき,イチローさんみたいになりたいと思った」 糸井は2006年に投手から外野手に転向。 イチローも愛工大名電高では投手だった。 他にも共通点は多い。 俊足で広角に打ち分け,一発もある安打製造機。 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では,前回大会までイチローが守った右翼の後継者。 そしてポスティングでの大リーグ移籍を,糸井も希望している-。 少年時代から,憧れの対象だった。 1995年の阪神大震災当時,糸井は中学生。 京都・与謝野町で「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝したオリックスと,その象徴だったイチローをまぶしく見つめていた。 18年後,思わぬ形でイチローが巣立ったチームに加わることになった。 会見では,日本ハムへの思いに声を詰まらせた。 「初めて聞いたときは驚きました。最初は別れるのがつらいと思った。ゼロの選手をここまでにしてくれた」。 タイトルを獲得し,リーグ優勝にも貢献しながら,まさかのトレード。 それでも糸井は,イチローの激励を背に,新たな野球人生に踏み出す。 「今はオリックスが優勝争いをして,最後にてっぺんをとれるように頑張りたい。それしか考えていません」。 既にマシン打撃もこなし,自慢の強肩も万全に近い。 チーム初の実戦となる2月10日の紅白戦にも「積極的に出ようかな,と思っている」と意欲的だ。 メジャーの夢は消えていない。 日本ハムに申し入れたポスティングでのメジャー移籍は,この日は封印。 だが「いつかは?」と問われて「うーん…。やっぱり関心はあります」と答えた。 まずは最下位球団を優勝へ導く。 そして,メジャーへ-。 日本一の外野手は,イチローの道をたどる。 ★01年から合同トレ イチローと坪井は,2001年から神戸で合同自主トレを行っている。 イチローは,1歳下の坪井の豊富な練習量,野球への真摯(しんし)な姿勢を「野球が大好きですからね。あんまりいないですよ」と評価。 坪井と糸井は日本ハムで同僚。 坪井が2010年までつけた背番号7を,翌11年から糸井が引き継いだ。
その言葉だけでも糸井に親しみが湧きました。
最後にもうひとりのオリ勇士にも
糸井とともにオリックスへトレード移籍した八木は「びっくりはしたが,意気に感じてやらないといけない。自分にとってはいい機会」と前向きに話した。 06年のパ・リーグ新人王左腕は「チームが変わっても2桁勝利という目標は変わらない。まずは先発ローテーションに入ること」。背番号は27に決まった。
こちらは移籍発表から終始チャンスと捉えるポジティブ発言
オリユニ着たらファンになる!!というのが自分の信条
まずは糸井,八木!ようこそオリックスへ!!
ただ大引を失った寂しさは消えないんですよねぇ・・・(TT)
【写真は,個人的には実感は湧かないが気持ちは前向きに応援する気なってきた糸井,八木の入団会見】