☆4/12(金)日本ハム1回戦
まずはダグに久しぶりに会えた喜びから
オリックスの試合前の始球式を球団OBのD・J氏が務めた。当時のユニホームに身をまとい,ストライク投球だ。 「言葉では言い表せない喜びであり,招いていただいたことに,なんと感謝すればよいのかと思うくらい光栄なことです。95,96年と連続して優勝したブルーウェーブのチームメートを今もなお大きな家族だと思っていますので,長年会うことが出来ていなかった家族に久しぶりに会うことが出来た喜びをかみしめています。当時の日本での経験なしに現在の自分は考えられません」 同氏は96年9月23日のリーグ優勝を決めた試合で,9回裏の2死から代打で登場。チームを救う同点弾を放ち,リーグ優勝に大きく貢献した。
それもそのはず青波的大エースの活躍があったからこそ
7回,8回…。イニングが進んでいっても,オリックス・金子はマウンドを譲る気はさらさらなかった。 「延長の試合が続いて,投手も疲れている。1人で投げ抜く」――。志願の続投。9回無死一,二塁のピンチも切り抜けた。5安打8奪三振,134球の熱投。自身にとって昨年5月22日の阪神戦(京セラドーム)以来,そして今季パ・リーグ一番乗りの完封勝利だ。甘いマスク。熱心なファンには名前の千尋から「ちーちゃん」と呼ばれる。しかしグラブには「氣」の文字。気持ちだけは誰にも負けない。前夜のソフトバンク戦(ヤフオクドーム)は,延長11回に痛恨のサヨナラ負け。嫌な雰囲気を振り払う快投に,森脇監督も「だからエースという言葉が存在する。金子は本物」と賛辞を惜しまなかった。 3月29日。実戦登板ゼロのまま,金子はロッテとの開幕戦(QVCマリン)のマウンドに上がった。ぶっつけ本番。春季キャンプで右肘を痛め,同21日にようやくシート打撃に登板したばかりだった。その直後,森脇監督から3年ぶり3度目の大役を告げられた。「正直,びっくりした」。極めて異例の,荒療治ともいえる起用法。昨季は右肘痛などでわずか4勝に終わった。新指揮官から「1年間(チームの)中心になって戦うんだぞ」と託された言葉を胸に,必死に腕を振った。 この日は91~00年のオリックス・ブルーウェーブ時代の復刻ユニホームを着用した。96年の日本一を含め,10年間でAクラス9度。当時の強さを取り戻す。「寒かったですけど,球場を熱くしてやろう,と思って投げました!」と金子。かつての本拠地・ほっと神戸での試合で,貯金2としてリーグ2位。チームも,金子も,今年は確かに違う。 オリックスの91~00年 91年のドラフト会議では,鈴木一朗(愛工大名電)を4位で指名。94年に仰木彬監督が就任すると登録名を「イチロー」に変更し,日本新記録(当時)のシーズン210安打をマークした。95年1月17日に阪神大震災が発生。チームは「がんばろうKOBE」を合言葉に同年,96年とリーグ連覇。96年には巨人を4勝1敗で下して日本一に輝いた。00年は阪急時代以来12年ぶりのBクラスに転落。シーズンオフには7年連続首位打者のイチローが,ポスティング・システム(入札制度)でマリナーズに移籍した。
ち~ちゃんスマイル全開!
お立ち台ではネッピーとも久々の競演
お立ち台ではネッピーとも久々の競演
こんなコメントも
青波系の大引に代わってオリックスの遊撃を担う男も
開幕から遊撃に定着したオリックスの安達が3打点を挙げた。まずは三回,先制の2号ソロを放ち「打者有利のカウントなので直球を待っていた。完璧だった」と読み勝ちに胸を張った。 四回には「どんな形でも追加点が欲しかった」と言うように,変化球に食らい付いて2点適時打を放った。今季,これで1年目の昨季を上回る5打点とし「積極的に打ちにいく中で配球や場面を考える余裕が出てきた」と成長を実感していた。 平野佳(前日まで3連投) 「さすがエース。休めたのは大きい」 西本投手コーチ(金子に) 「四回まで球が手に合わなかったみたいだが,修正していった。考えながら投げていたのはさすが」
ダッチも覚醒してきました。
【写真は,往年の青波勇士のDJを囲んで】