永久に記憶に残る選手

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今日はちょっと趣を変えてこんな話
パの投手タイトル総なめ状態のマー君ですが
うちの大エースも負けてません。

 オリックス金子千尋投手(29)が今季最終登板で,沢村賞受賞基準の全項目クリアを目指す。勝率,奪三振数など7項目のうち到達していないのは15勝のみ。沢村賞は総合力が必要とされる,まさしくエースの代名詞。楽天田中の受賞が決定的な状況だが,全項目の基準を満たすことにこだわりをみせた。
 「調子の波が少なく投げられた。せっかくなので満たしておきたい。トータルなので。毎年候補に入れるようになれればいいですね。(今季は)前例のないすごい投手がいるので僕ではないですけど」
 残り1試合の登板を残し,奪三振王のタイトルはすでに当確。田中のタイトル総なめを阻止した。陰に隠れても,充実のシーズンを白星で気持ちよく締めくくる。

沢村賞受賞基準
 沢村栄治氏のような先発完投型の投手が対象となるよう,次の7項目が基準となる。<1>登板数25試合<2>完投数10試合<3>勝利数15勝<4>勝率6割<5>投球回数200イニング<6>奪三振150個<7>防御率2・50以下。金子は15勝すれば,すべての基準をクリア。なお,2人の同時受賞は66年の阪神村山,巨人堀内と03年阪神井川,ダイエー斉藤の2度のみ。

沢村賞が取れる年も何度もないのでぜひ権利を得ておいてもらいたいですね。
ち~ちゃんが普通に投げればあとは打線
李大浩もいない打線ですがなんとかしようという気持ちで戦ってほしいです。

さて前述のマー君絡みでこんな記事

 今季,楽天初優勝の立役者にして開幕23連勝の新記録をマークした田中将大に対し,背番号「18」を永久欠番に推す声が上がった。
 海の向こうではメジャーで唯一「42」を付けていたヤンキースマリアノ・リベラが引退したことで,来季からは「42」が全球団の正真正銘の永久欠番になる。
 大リーグの「42」は,1947年に黒人として初のメジャーリーガーとなったジャッキー・ロビンソンの背番号だった。それを記念して1997年にメジャー全球団の永久欠番に指定されたが,指定以前から42番を付けていた選手にはそのまま着用が許されていた。当時から42番を付けていた選手のなかの最後のひとり,リベラの引退によって,「42」は本物の永久欠番になったのだ。
 今季は「永久欠番」という言葉が日米で何度も聞かれた年だった。
 世界で初めて永久欠番となったのは誰の番号であるかご存じだろうか。1925~1939年にかけて,連続2130試合出場を記録。“アイアン・ホース(鉄の馬)”の異名を持ち,ベーブ・ルースと並んでヤンキース最強の黄金時代を支えた,ルー・ゲーリッグの背番号「4」である。
 彼は不治の病「筋委縮性側索硬化症(ルー・ゲーリッグ病)」に冒され,1939年に引退を余儀なくされる。同年,最年少で殿堂入りが認められ,同時に,“亡くなってもチームに居続けられるように”と背番号が永久欠番となった。ゲーリッグはその後37歳で夭逝した。
 日本でもこれにならい,巨人が1947年に沢村栄治黒沢俊夫の2選手を顕彰して,それぞれの背番号「14」と「4」を欠番に設定した。
 沢村は戦前に来日したメジャー選抜チームとの試合に登板。ゲーリッグに打たれた本塁打の1失点だけに抑える9奪三振の快投を演じ,16戦全敗の中でひとり気を吐いたことで知られる。日本プロ野球が発足した1936年には,史上初となるノーヒット・ノーランを達成するなど活躍したが,1944年12月に戦地へ向かう東シナ海沖で戦死した。
 一方の黒沢は,1936年名古屋金鯱軍に入団。その後大洋,西鉄と渡り歩き,1946年までの3シーズンを巨人の主軸打者としてチームに貢献したが,1947年に腸チフスのため病没した。突然の訃報にショックを受けた巨人の選手たちが,黒沢の功績を讃えるべきと主張。当時の永久欠番は,ゲーリッグと同じく“悲業の死”が誕生させたイメージが強い。
 この2人をはじめ,日本プロ野球永久欠番と認定されているのは,わずか16例のみ。時代の流れとともに存命者にも贈与されるようになったが,明確な条件はない。阪神で球団社長を務めた野崎勝義氏が語る。
「ある一定の貢献があった選手が引退する場合に,背番号の扱いをどうしようかという議論になるのですが,基準は決まっていません。ただし,ファンからも納得してもらわなくてはならないので,必然的に生え抜き選手が優先されることになります」
 選手から推される者,オーナーの鶴の一声で決まる者と事情は様々。

永久欠番がたくさん合ってもいい番号がなくなるので困るし,
大選手の番号を背負う現役の姿も見たい気がします。

永久欠番といえばこんな記事も

 プロ野球選手の背番号は,選手の引退や移籍によって次の選手へと引き継がれていく。しかし,多大な功績を残した者にのみ「永久欠番」にすることが許される。今回,楽天田中将大に対し,まだ20代の現役選手だというのに背番号「18」を永久欠番に推す声が上がっている。だが,球界再編の波に飲み込まれた永久欠番もある。
 近鉄一筋,1966~1985年まで通算317勝。エース・鈴木啓示が一貫して背負ってきた背番号「1」は,引退前の1985年7月に,パ・リーグ初の永久欠番となった。しかし2004年,近鉄オリックスとの合併で消滅,現在は背番号も欠番ではなくなっている。
 さぞ鈴木氏は悲しんでいることだろうと思いきや,当人は実にスッキリした表情で語る。
「実は消滅の時,オリックスの球団代表から,永久欠番をそのまま継続させるか打診されたんです。ありがたい話でしたが,僕は近鉄での功績でこの栄誉をいただいたんだし,球団は新しく生まれ変わるのだから,そこで欠番というのもおこがましい。何よりオリックスでは,もう後藤(光尊)君が1番をつけていたしね。
 後日,始球式で行った時に,後藤君には“こんな番号をいただいて申し訳ありません”といってもらいました。何の打診もなく欠番を取り消されていたらヘソを曲げたかもしれないけど,オリックスさんの誠意は伝わっていますよ」

純血オリックスファンからしたら1が永久欠番という意識はまったくないですが
こんな秘話もあったんですね。

後藤は鈴木さんには番号取り上げられなかったですが
コリンズ監督にはいとも簡単に取り上げられましたけどね(笑)

永久欠番にしたいくらいの選手が今のオリから出てこないかなぁ・・・




【写真は,オリの準永久欠番といえばこのひと。いつか継承する選手が出てほしいという思いもあります。】